blog[山口茜のblog]

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SAVYLOVE

眠いよー
私はどうしてこんなに長い間元気で起きてられるんだろう。
朝の7時から夜の2時まで、ここ最近ずっと。
不思議すぎる。

SAVYという雑誌に、公演情報を掲載してもらう上に、
おすすめの文章まで書いていただいて、すごくうれしい。
その文章がまた、私の意図とぴったり一致していて、
「そうなんです、そういう人に観てもらいたいんです」
という感じで、すっごく感動した。

こんな風にくみ取ってもらえることって、なかなかないなあ、
わたし、わかりづらいもんなあ。

SAVY買うぞー!
SAVYさまありがとうー!

お手伝いさんがほしい

アマゾンから本が届くのをまっていた。
届いたので、今日も今から外に行って書く。
家の中は寒いし灯油代がかかるから。
あと、何回も台所に行っちゃうし、あげく関係のない本読んじゃうし。

昨日稽古の後、マクドナルドで台本書いてたら、隣の大学生が「防衛医大に受かった」という話をしていた。よくきけば去年の3月の話なのだが、大学生ってとりあえず4年間ずっと、受験の話をしたがるよね。どこ受けたとかどこ受かったとか落ちたとか。自分がいま現役の大学生であることは、けっこうどうでもいいらしい。実際の大学生活よりも、受験そのもののほうが、でかい目標だったんだね。

そこにいた3人はたぶん3人とも京大生なのだけど、防衛医大に受かってたのはそのうちの一人の女子だけで、後の二人の男子はしきりに「すげーおれ落ちたのに」と言っていた。だいじょうぶや、これからまだ人生は長いから、防衛医大に受かるよりすごいこと、するかもしれんよ。と思ってパソコンを閉じて、家に帰った。

単三の電池と、パソコンの部屋の電気と、バリカンを買いに、電気屋さんに行きたいな。こたつ布団も、クリーニングから回収してこなければ。でも、そういったことよりも先にやることが、今あって、なかなか手が回らない。でも、台本を書くことは、本当に楽しいと思う。そもそもお金をもらえなくてもできる、数少ないことのうちのひとつだと思う。私にとっては。苦しい瞬間ももちろん、いっぱいあるけど。あーお手伝いさんがほしい。

弟が送ってくれた、野田秀樹さんの新聞取材記事を読む。全5回にわたって切り取って送ってくれた。頼んでもいないのに、お父さんみたいなまねをする大ちゃんは、私にとって、とても大切な弟だ。

将来、財産相続とかで争わないように気をつけたい。
そんな財産ないか。

Eおばちゃん

祖母の姉のEおばちゃんが、今京大病院に入院している。
先日、お墓参りに行った帰りに、お見舞いに寄った。
Eおばちゃんは、マヒしてほとんど動かない顔で、
私を凝視して、目から涙を落した。

声がほとんど出ないのに、
「あっ・・・あっ・・・」と私に必死に話しかける。
眉と眉の間に、しわが寄る。

私は、Eおばちゃんがこんなに、
私の登場ごときで変化するとは想像だにしていなかったので、
本当に驚いてしまった。私とEおばちゃんは、
数年に一度会うか会わないかの関係だったからだ。

でも、おばちゃんは、私が生まれたころから、
私の人生のほとんどを、私の祖母から聞いて、知っている。
だから私がEおばちゃんのことをほとんど知らないのとは対照的に、
Eおばちゃんは私の知らない私のことまで、知っているかもしれないのだ。

それが、おばちゃんの、目から流れた涙と、
眉の間によったしわを見た時に、
分かった。この人は、私のことを、知っていると思った。

毎日毎日、ほとんど動かない、管をたくさん通されている体で、
壁に向かって座っているだけの毎日で、
元気だったころの面影はほとんど失われていて、
それでも、生きる、おばちゃんは、
私の作る芝居よりも生きていて、
劇的だった。

ほとんど世話もしない、
看病もしない、外野的存在の私が、
こんな風に勝手に感動して、勝手に涙を流すのは、
申し訳なくて仕方がない。実際周りで世話をし始めたら、
こんな風にきれいな記憶で残るはずがない。

分かっていながら、
それでも、どうしても心が動いてしまって、
泣いてしまった。親戚なのに観客気分の自分が恥ずかしい。

もう一度おばちゃんに、会いに行きたい。
それしかできないので、それだけ実行しようと思っている。
次は泣かないようにして、花を持っていこうと思う。

transsi

式典の戯曲を書いた。

最近、トランス状態というのだろうか、
そういう感じが、わかるようになってきた。
別に何も降りてはこないが、
準備さえしっかりすれば、あとはそこに降りて行って観る。
というようなことが、
頭ではなく、なんとなく、わかるような気がしてきた。

気のせいかもしれない。

でも、帰国してからというもの、物事をとても鳥瞰的に観ることができるようになった。それが、トランス状態を引き起こしてくれているのかもしれない。

クリスチネはそのど真ん中にいて書いているが、
式典はそれをさらに少し客観視して書いてみた。

ブログを書いている場合ではないのは、いつものことだ。
左肩が痛い。

テクスッ

今日は1人で芸術センターで台本を書いた。
1人でパソコンに向かう修行を2年もフィンランドで行ったので、
へっちゃらだ。でもさすがに9時ぐらいになると、飽きてきて、
ハリーポッターのオーディオテープをフィンランド語で聴いたあと、谷村新司の歌を2曲熱唱して、帰ることにした。

ハリーを聴けば意識はフィンランドに戻るし、
谷村新司をきけば意識は10歳に戻る。

耳で聞くものは記憶を呼び覚ますだけじゃなくて、意識をどこかへ連れて行ってくれるんだなあ。

明日も明後日も台本のためにあけたので、
安心とおもいきや、

芸術センターの式典の締め切りも明日だったりして、
笑えます。

宮部みゆきの続きを読むか、釣りバカ日誌を観るか悩み中。
何度も言いますが、

チケットがかなり安く買えるのは、今だけです。
直前になって予約するより、今がお得です。
よろしくー。

英語の個人レッスンをしてくれていたフィーガルが、
私のtextの発音を何度も直したのをふと思い出した。

テキスト、じゃなくて、
テクスッ

はねます。

難しい時期

スケジュール調整に四苦八苦する難しい時期。
フィンランドにいた時はあんなにあった時間が、ここにはない。どこをどう見てもない。

昨日から稽古が始まった。
衣装合わせも同時進行。
スタッフミーティングも進行。
ウェブの企画も進む。

今から、このままいくと夏まで、ノンストップ。
何か忘れてやしないか、後でヒヤッとするのではないかと思って、1年間が一目で見渡せるカレンダーを意味なく何度も見つめてしまう。今、3月公演の稽古をしながら5月の公演の打ち合わせの話をしているのと同様、4月には、5月公演の稽古をしながら7月公演の打ち合わせをしなくてはならない。という生活をフィンランドに行く前はしていなかったので、つまり初体験でびっくりする。

私の稼ぎが今の3倍あればマネージャーが雇えるからそれまでの辛抱って思っても「それ」っていうのがいつの話なのかは誰にもわからんし、でも『今すぐ食べていけるお金』がたいして無いのに仕事だけは入ってきて、だから難しい時期なのだ。ほんと、むずかしい。だから現実逃避にマネージャーの理想像を(分不相応を自覚しながら)想像してみる事にした。建設的な話ができて、冷静沈着で、思いつきで行動しなくて、でもフットワークは軽くて、ホウレンソウが早くて適格。書いていくうちに私と真逆の人物であればよいという話に落ち着いてしまってびっくりした。

二日目のカレー食べたい

当たり前のことだけど、
アイディアは自分の中にしかない。
ためこんだ体験が、
二日目のカレーみたいに熟成する。
それがある日、とつぜんリサーチ中にぱっと出てくる。
それがアイディアだ。
だから常に考え続けることは無駄じゃないのだと思う。
その繰り返しだと、台本を考えながら思う。

私の場合は、台本は書くものじゃなくて考えるものだと最近思った。
書くのはあふれるまでため込んだあの上澄みの部分だ。
だからあふれるまで考えてため込まないといけないんだな。

アントン・チェーホフの「熊」を、ルドルフとこのしたやみという2つのユニットで同時上演。同じ戯曲を違う演出家がてがける今回のような試みは、京都でこそもっともっと広がっていけばよいと思う。京都の小劇場のような、少数の人々で構成されている世界では、「流行り」というものが見えにくい。そしてふだん、大多数の趣向を頼りにして物事の判断を下すことに慣れている私たちは、流行りが見えないことに戸惑い、不安を感じがちだ。だからこそ、こちら側から「比較しやすいような」環境を作り出して、その差を楽しんでもらい、「私はどちらかというとこっちが好き」という意見を引き出すことが必要だと思う。そういう機会を重ねることで、自分はどういう演劇が好きかなんとなく見えてくるだろうし。このような世界においては、好きだと思ってもらうことが本当に大切で希少なことだと思うから。なんせ今は映画とかテレビの比較対象としても、その地位を確立できていないような弱小世界ですから。

今回は、そういう意味で、素晴らしい企画だったと思うし、筒井加寿子ちゃんの演出にも拍手喝采を送りたいと思った。彼女の漫画好きの要素がふんだんに盛り込まれた作品ではあるが、「笑い」の要素を抜きにしても、戯曲の読み込み方は素晴らしく、深い。バックグラウンドをどこまで想像し、俳優と共有して舞台に(セリフを変えずに)盛り込むで、演出は決まるのだということをひしひし感じさせられた。ロシアの若者たちが(そして男前チェーホフが)、当時、どのように女性関係を楽しんでいたのか、想像してワクワクしてしまった。

というかまだ明日もやっているから、とにかく観ていない人は必見です。

俳優は、全員とても素晴らしかったけど、特に(身内びいきで申し訳ないが)岩田由紀ちゃんが素晴らしかった。2年観ない間に・・・と思ったが、よく考えれば、こんな風に客観的に彼女を観ることができたのは久しぶりで、それがとてもよかったように思う。

あと、今度は、二口大学さんのダイアローグが観たい。あの人の俳優という業に対するストイックさは凄い。それを、相手役にもふんだんにぶつけられる場を、観たい。

久々失敗

今度私が劇作と演出をさせてもらうところ(@東京)のジュリアンさん(本名)という方から、新宿梁山泊を観に行きませんか(@東京)と誘ってもらったが、どうしても都合がつかなくて、いけそうにないのです。それがとても残念でならないここ最近。

京都にいると当然、東京の話題作を観に行くのは一仕事です。お芝居が純粋に好きな当サイトの管理人なっちゃんなんかは、結構それをいつも嘆いているように思います。話題になっても、関西に来てくれることはすごく少ないようで、彼女ぐらいの演劇ファンになると、面白そうなものがあれば東京まで出て行ったりもするようです。

逆もあればいいのになあ。京都にすごく面白い芝居があって、東京からわざわざ観に来る、みたいなね。理想的やな。私らががんばらなな。

昨日は「縞模様のパジャマの少年」という映画を観ました。

私は何かを観ても、ここに感想を書いたり書かなかったり、観たことすら忘れたり逆におもしろすぎると帰宅してすぐにブログに書いたりします。要は書くということはそれだけ、針が振れているというわけで。

この映画はだめな方に振れてしまいました。振り切れました。もちろん、勉強にはなったけど、残念ながらドラマに引き込まれることはほとんどなかった。まず狙いが分かりやす過ぎる。そして設定に無理がありすぎる。私の涙もろさは超一級ですが、私が泣けないということは、そういうことですわな、『子供』という必殺技を使っているにもかかわらず。残念。良いところももちろんありました。絵がとてもきれいとか。でも、それなら絵とか写真でいいわけやしなあ。俳優もいい人が多かったように思います。

私も頑張ろう。物語を創るということは本当に、大変なことだ。観客をなめてはいけないなと思います。ということで、歯医者の時間まで、台本を書くことにします。


お前か

今日は朝から暖かくてほっとする。暖房をつけなくてもよいなんて感激だ。それにしても日本の冬とはこんなにも明るいものだったんだなあ。こんな環境に恵まれて、われわれが勤勉にならないわけがない。

昨日は夜からいきなりさつまいもとリンゴのケーキを焼いてしまった。なぜ夜に、と思うがやってしまったことは仕方がない。それを今、朝から食べている。ケーキというより、ほぼサツマイモとリンゴだけなんやけど、それでも糖質制限とかしている人からすればありえない食物だ。でもおいしいんよね。少なくとも意味不明の添加物が入っていないだけよしとしよう←と自分を慰める。

2010年度後期から、龍谷大学で授業を持たせてもらうことになった。そのシラバスの入稿期限が来週月曜日だ。シラバスって、ネットでチェックできる時代なんやね。私が大学生の頃は、ネットをしている人の方が少なかった。友達がパソコンを買ったと言った時、未知の匂いがぷんぷんしたのを、この記憶力破壊され済みの私の脳が珍しく覚えている。

パソコン。

大学にもあったけど、訳がわからなさそうだからあまり興味が湧いてこない、という感じだったように思う。ものすごく複雑怪奇なイメージを、パソコンに対して持っていた。それで何するん?と思っていた。むっちゃ大きかったし。その頃私はまだ、何かを書くのにワープロを使っていて、感熱紙の匂いをかぐと今でも大学生活を思い出す。周りの人もみんな、ワープロが原稿作成のメインバッターで、コンビニに行くと感熱紙がけっこうわがもの顔で紙類の棚を占めていて・・・と、まるでおばあちゃんみたいな懐古調だけど、これはたった12,3年前の話。時代の移り変わりは激しい。まあそのうち「これはたった30年前の話。時代の移り変わりは激しい」とか言い出すわ。こうやって年とっていくんやろうな。

で、シラバスの入稿だけど、どうしたものかと思っている。どんな人が受講してくれるんだろうか。テスト受けるのがいやだから、提出物で単位が取れてしまう「楽な」授業をピックアップしていったらたまたまこの授業が残った、みたいな人がいっぱい来てしまったらどうしようと、今から不安でいっぱいだ。そんな私のような人が、なるべく少ないことを祈るしかない。

私はほんとにダメ学生だった。
反省している。
だから私のような人にはなるべく、会いたくない。